Idaho kitchen

旅行と音楽と映画

夢と希望と絶望と

久しぶりの投稿になってしまった。

 

前回の投稿から、職場が変わり、勤務地が変わり、一人暮らしを始め、新しい土地での生活を送っている。

新天地、寂しさよりもワクワクを抱えて旅立ったはずだった。新しい職場には、同じ会社の人は私一人。わからないことがあっても、すぐ側に誰かがいていつでも質問できるという状況じゃない。

別の会社の人とも、着任数週間にしてたまーーの世間話ぐらいしかできない。コミュニケーション能力が著しく低いのである…。

 

最初の一週間で3〜4人から怒られ、少し大きめの仕事が舞い降りたのに状況を把握できずに狼狽て、かなり落ち込んだ。

前の職場の上司と電話して、いろいろと相談に乗ってもらって、よし頑張ろうという気持ちが湧いたものの、一人っきりの日常に戻ると心細くて心細くてたまらない。

新人なんだから、そんなことで落ち込まなくてもいいんじゃない、と電話越しに励ましてくれる上司の声から、困り顔が浮かんだ。

 

 

少し背伸びをしてギリギリ滑り込んだ業界。

性格的に適性はないだろうという不安を、無駄に高いプライドで押しつぶして乗り越えた就活。

遡ると、いろいろと無理があったんだなと。

正直、すでに仕事を辞めたい…冗談交じりに会社の同期には言ってみるけど、そんなこと言われても困るよね、と反省。

親からも「はい、はい」と流されてしまい、わかってはいたけど落ち込んだ。

 

捻くれてるわけじゃなく、人ってそこまで他人のことに興味ないんだよね。

だから自分の苦しみや悩みは自分の中で解決していかなきゃなと、新たな気づきを得た。

うまく人を頼れる人に憧れる。

 

 

仕事を辞めたところでどうなるんだろう?

いつか海外に移住して、一度は映画業界で働いてみたいというのが漠然とした夢だった。

でも考えてみると、これまでの人生におけるたくさんの悩みの原因の大半は、自分のコミュニケーション能力の低さからくるものだった。

人とうまく関われないことが、もはやアイデンティティになってしまっている。

この問題を無視して仕事を辞めて、はたまた海外に出たところで、余計に生きづらくなるんじゃないか。

今まである意味、心の支えになっていた夢が、自分には挑戦することすら難しいことなのかもしれないということに気がついてしまった。

仕事は生きるためのお金を得るものと割り切ってやっていこう。諦めれば少し楽になるかも。絶望感もあるけどね。

 

 

月並みな言葉だけど、太陽の下に咲くひまわりのように朗らかでハツラツとしていて知的な人はとてもすてきだ。

ある知人のことなんだけど。優秀で、話す人話す人に印象を残していく。

当然のごとく、到底手の届かない人なのに憧れてしまう。

彼女ならきっとどこに言っても生きていけるだろうな。

 

小さい頃から、誰とでもコミュニケーションをとれる人になりたくて、トライアンドエラーエラーエラーでここまできた。

もしかしたら私、死ぬまで誰かに憧れ続けるんじゃない?

きっとそうだ。

自分じゃ届かない人になりたいと思い続けて、なれなくて落ち込み続けて、一生が終わっちゃうのかな。

少しだけ、生きてる意味がわからなくなってきた。

なんでもないのに仕事中、お風呂中、ベッドの中で涙が出てくる。こっそり泣いてるからよしとしよう。

 

 

 

 

今週、金曜日で仕事納め。

なんとか生きたい。